江戸後期から続く、京和傘の老舗5代目として
かつて暮らしに欠かせない日用品であった番傘や蛇の目傘。そして、茶席や歌舞伎・日本舞踊など伝統芸能の舞台、神社仏閣のしつらえに華を添えてきた大型の傘。それらは浮世絵にも描かれているように、日本らしい四季折々の風景の一部となってきました。
そんな和傘製造元のひとつとして、京都で約160年の歴史を守り続けるのが日吉屋。全国的に和傘製造元が数少なくなっている今、京都においては現存する唯一の存在となっています。
2003年に日吉屋の当主となった西堀耕太郎は、伝統工芸とは無縁の世界で育った変わり種。高校卒業後、1年間のカナダ遊学を経て、和歌山の地方公務員として安定した暮らしを送っていた西堀の人生は、妻の実家・日吉屋にて和傘と出会ったことで、大きく方向転換します。「こんなに美しいものが、このまま途絶えてなくなってしまうのはもったいない」――西堀はその一念で、インターネット黎明期だった1997年頃より、いち早く和傘のネット通販に乗り出し、廃業寸前だった日吉屋の売上をV字回復させることに成功。同時に和傘づくりの伝統技術を学び、自ら職人の道に進むことを選びました。
プロのデザイナーと協業し、和傘の技術を現代に生かす
ネット通販で廃業は免れたものの、それで将来の見通しが明るくなったわけではありませんでした。ただでさえ「一度買えば一生もの」というほど長持ちする和傘は、和装離れが進む中では、ユーザー数もリピート率も先細りになることは明らか。さらに、たとえ美しい工芸品であったとしても、洋傘に比べて重くかさばり、取り回しが悪い和傘は、現代の生活にはそぐわないのです。
そんな悩みを抱えながら和傘づくりにいそしんでいたある日のこと。いつものように油引きした傘を天日干ししていた西堀は、頭上に広げた傘の手漉き和紙を通して、陽光がやわらかく降り注ぐのを見ました。その穏やかな美しさに心動かされた西堀は、和傘を照明に転用することを思い立ちます。
最初は自分ひとりで試作品づくりに取り組んでいたものの、それでは和傘職人の発想から抜け出せないことに気づいた西堀は、プロのデザイナーに協力を仰ぐことにします。照明デザイナー・長根寛さんから提案されたのは、和傘の骨組みを生かしつつも、傘の形状から離れ、現代のインテリア空間になじむ円筒形に変えること。一方で職人として西堀がこだわったのが、和傘のように開閉できる仕組みを取り入れることでした。こうして企画開始から2年の歳月を経た2006年に、デザイン照明「KOTORI-古都里-」が誕生。デザイナーと職人、2つの異なる視点が出会って生まれた新しいデザイン工芸品として、2007年にはグッドデザイン賞を獲得。2008年にはフランスとドイツの国際展示会に出品し、海外に販路を広げました。
「伝統は革新の連続」を合言葉に、職人と職人が高め合う関係を
その後、日吉屋は、「KOTORI-古都里-」の企画開発~海外販路開拓で得た学びをさらに進化させ、海外のバイヤーやデザイナーの視点を取り入れたものづくりに着手。そして2012年からは、これらの経験を生かして他の伝統工芸の担い手の海外進出支援もスタートしました。西堀自身が職人であり、職人の思考も、ぶつかる壁もよくわかるからこそ、それを超えていく「マインドシフト」の拡大が、西堀の次のライフワークになったのです。
日本には、世界に誇れる素晴らしい伝統工芸品がたくさんあり、その陰には高い志と技術をもったつくり手たちの存在があります。しかし生活様式の変化や、少子高齢化が進む現状を考えれば、日本市場だけに留まっていても未来は厳しいと言わざるをえません。伝統の技術を生かしながら、日本以外の国々にもフィットするものをつくり出し、海外市場へと販路を拡大すること。そのことが、ひいては貴重な技術の継承にもつながるのです。日吉屋でも、「KOTORI-古都里-」の成功をきっかけに若手職人の雇用・育成が進み、かつてのひっそりした空気が嘘のように、工房は活気を呈しています。
「伝統は革新の連続」――この理念を掲げ、日吉屋がこれまでに支援したものづくり企業はのべ700社を超えています。ここ「日吉屋クラフトラボ」は、そんな出会いの中から生まれた現代のデザイン工芸を集めたショーケース。職人目線でご紹介する、職人たちの物語を、ぜひお楽しみください。